Podcast

そっと置かれた50年前の想い

  嗨〜!大家好,我是新田岳(ハ〜イ!皆さんこんにちは、新田岳です)。
一昨年の春より一時帰国の度に、大きな家財道具を含めたあらゆるものを整理・処分してきました。その中で一番の驚きの品があったので、こちらで紹介します。

故郷・福岡について

  九州地方の北部に位置し、九州では最大の都市である福岡市。西日本において大阪に次ぐ人口を擁し、九州の経済・文化の中心地として発展を続けています。また、古くから大陸との交流があり”アジアの玄関口”としても知られています。一部エリアでは再開発が進み、学生時代に見知った多くの店舗も姿を消しています。しかし、この道、あの曲がり角といった要所要所で家族や友人たちとの思い出が蘇ります。

「勿体無い」と残し置かれた物たち

  そんな福岡に僕が住んでいたのは、9歳から大学を卒業する21歳までの12年間。それまでは数年ごとに転居する時期もありましたが、福岡からは父の転勤もなくなりました。そうすると次第に比較的大きめの家具や、身の回りの品が増え始めていきました。今では祖母や母が遺したもの、僕が日本で使用していた家財道具が、父が暮らす家に残されています。
  「勿体無い、まだ使える」「珍しいから取っておく」と言う父と、「この数年、気にも留めなかったものは必要なし」と僕の度々繰り返される押し問答。とはいえ、両親の思い出の品は然るべきところに戻し置き、一方で母子手帳や幼少期の衣類などは僕の手に譲られました。

一番の思い出の品

  普段使いの衣類や道具の他に、毎日の食卓を彩っていた家族一人ひとりの器たち。中には、母が使うことを楽しみにしていたであろう未使用品も続々と出てきました。そして──、母の着物タンスの引き出し奥に、それはひっそりと積まれてありました。

  新婚当時、一時遠距離生活をしていた父と母の手紙、そして両親が一緒に暮らし始めてから始まった祖母と母の手紙の束です。内容としては、今でいうメールやもっと手軽なツールで交わされる日常的なものです。しかし、手紙や封筒の紙質やデザイン、インクの滲み、筆跡といった、当時の各々の性格や相手への想いといったものがそこにはありました。これは単に手紙が情報伝達手段といった意味だけではない、僕が知り得なかった多くの家族の情報でした。

垣間見れる新しい小さな家族の姿

  今ではあまり言わないユーモアを交えながらも、どこか緊張しながら綴られた父の硬い筆跡。濃紺色の万年筆インクが紙の上で滑るように伸びやかで、しかしどこか芯のある母の筆跡。一人娘の新生活を心配するようにしたためられた、やや細身で、書き損じのないように慎重に書かれたであろう祖母の筆跡。全ての手紙、文面を読まなくても、当時の近況を伝えながら送る相手を想い合う、新しい小さな家族の姿を読み取ることができました。

どうして、ここに?

  ところで、母が父と祖母に送った手紙をどうして母が持っているのでしょうか?その答えは、母に尋ねるより他に知る術がありませんが……。
自分が大切にしていた衣装タンスの引き出しの奥に入っていたくらいですから、当時の想いや父や祖母との思い出と共に大切にしまっておきたかったのかもしれませんね。

そっと置かれた50年前の想い

父と過ごす時間、そして──

  この十数年間、父と短期間暮らしてみたり、遠方へドライブ、数日連泊しながらの旅行などをしてきました。この2年間に渡る大掃除も、父と僕との思い出になるような時間だったと思います。
この手紙の存在を忘れていた、という父。短期間ではあったようですが、遠距離恋愛をしていた時期がある両親は、日々の暮らしの様子と自身の気持ちを手紙で伝え合っていた様子。今まで知らずにいた両親の想いを知るにつれ、母から譲り受けたピアス(指輪からリメイク)がよりキラキラと光って見えるのは……、気のせいでしょうか?(笑)

それでは、今日はこの辺で。
謝謝大家、掰掰〜!(皆さん、有難うございます。バイバ〜イ!)


関連記事

TOP